鹿児島・高麗町/加治屋町
下級藩士の町に生まれ、家の危機を負う
加治屋町で仲間と育ち、父の流刑と自身の免職によって家計の責任を負った。
人物を知る
大久保利通は、薩摩藩の下級藩士から藩政中枢へ進み、倒幕と明治政府の形成を主導した政治家です。岩倉使節団で欧米の制度を調査し、帰国後は内務省を中心に殖産興業、地方行政、治安政策を推進しました。西郷隆盛と異なる政治判断を選び、西南戦争後の1878年に紀尾井坂で暗殺されました。活動の舞台は鹿児島・高麗町/加治屋町、鹿児島・京都、京都・東京、横浜・欧米に及びました。1830-50から1878までの経歴には、当時の政治制度、社会、生活環境の変化が重なっています。
軌跡
鹿児島・高麗町/加治屋町
加治屋町で仲間と育ち、父の流刑と自身の免職によって家計の責任を負った。
鹿児島・京都
島津久光へ接近し、公武合体運動を支える一方、組織統制の厳しさも経験した。
京都・東京
薩長の協力と王政復古を進め、版籍奉還・廃藩置県で藩を中央政府へ組み替えた。
横浜・欧米
条約改正交渉の失敗を経ながら、各国の工場、交通、教育、行政を観察した。
東京
外征より国内整備を優先し、留守政府の参議たちを退けて内務行政へ進んだ。
東京・各地方
産業、警察、地方行政を集中して進め、士族反乱と西南戦争への対応も担った。
東京・紀尾井坂
不平士族に襲われ、構想と公務文書を残して四十七歳で死去した。



鹿児島県鹿児島市
下級藩士の家、父の流刑後の困窮、精忠組の仲間と書簡活動が重なる大久保の原点。
大久保利通
住所鹿児島県鹿児島市加治屋町周辺
周辺
京都府京都市
島津久光の上京、王政復古、廃藩置県へつながる交渉と文書作成の主要舞台。
大久保一蔵/大久保利通
住所京都府京都市上京区・中京区周辺
周辺
東京都千代田区
内務卿として政策を動かした官庁街と、一八七八年に暗殺された紀尾井坂周辺。
大久保利通
住所東京都千代田区霞が関・紀尾井町周辺
周辺
特徴

大久保は薩摩藩の下級藩士の家に育った。嘉永朋党事件で父が流刑となり、自身も職を失うと、家計を支える責任が若い大久保にのしかかった。加治屋町の近距離に仲間が暮らす環境と、身分より実務で家を保つ経験が、後の忍耐強い政治工作の基礎になった。

大久保は精忠組の仲間と結び、島津久光へ建言を重ねた。表舞台の演説より、書簡、使者、面会の順序を組み合わせて藩論を動かした点に特色がある。寺田屋事件では久光の命令側に立った重い局面も含め、仲間との近さと組織の統制が衝突する政治を経験した。

王政復古後、大久保は版籍奉還から廃藩置県へ進む中央集権化を担った。改革は『古い制度を壊す』標語だけではなく、藩主、土地、人民、財政、軍事を帳簿上で移し替える巨大な行政作業だった。薩摩藩出身者でありながら藩そのものを消す側へ回った点に、大久保の国家観が表れる。

一八七一年、大久保は岩倉使節団の副使として横浜を出発した。条約改正交渉は準備不足で進まず、委任状を得るため一度帰国する失敗も経験した。一方で鉄道、工場、官庁、教育を見て、制度は法律だけでなく技術、人材、財政の組合せで動くと知った。

帰国後は征韓論に反対し、西郷隆盛らと決裂した。内務卿となると殖産興業、警察、地方行政、博覧会などを一つの省へ集め、地方巡察も行った。近代化の推進力であると同時に、権限を中央へ集中させ、反乱を武力で抑えた統治の強さも切り離せない。

西南戦争で西郷を失った翌年、大久保は紀尾井坂で不平士族に暗殺された。事件を英雄的な最期として描くより、清水谷の道、馬車、持ち歩いた公文書に注目すると、国家建設の仕事が途中で断ち切られたことが見える。急速な中央集権が生んだ反発も、その死の背景にあった。
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鹿児島市維新ふるさと館 維新体感ホール · 鹿児島県公式案内
西郷隆盛、五代友厚、町田久成ら鹿児島ゆかりの人物を、創作歴史劇で紹介する年間上演企画です。