人物を知る

大鳥圭介

幕臣

大鳥圭介を、箱館戦争の指揮官という一場面だけでなく、上郡の医家の薬箱、閑谷黌と適塾の学具、江川塾の測量・砲術教材、縄武館の金属活字と『砲科新論』、伝習隊の操典と野営具、五稜郭から千住までの護送日記、米国産業視察の図面と工部教育の製図器から組み立てる。敗北後に知識が捨てられず、翻訳、出版、軍事、記録、鉱工業調査、教育へ用途を変えた過程を見る。一方で戦争被害や清国・朝鮮公使時代の責任も外さず、史跡訪問と関連書籍へ進める入口にする。

軌跡

大鳥圭介の軌跡

江戸時代明治時代
天保3–嘉永21832–49嘉永2–安政41849–57文久1–慶応31861–67慶応3–明治21867–69明治2–51869–72明治5–281872–95
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上郡・閑谷

医家の薬箱と漢籍から閑谷黌の学びへ進む


診療の観察と漢学の読解を、後の翻訳技術の出発点として見る。 大鳥圭介のこの時期は、舞台となった上郡・閑谷の場所・道具・文書を重ねると、出来事の背景と、その後の選択へつながる条件が具体的に見えてくる。 大鳥圭介は天保三年(一八三二)、播磨国赤穂郡細念村石戸、現在の上郡町岩木石戸地区の医家に生まれた。

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大坂・江戸

適塾、坪井塾、江川塾で医学、蘭学、砲術を学ぶ


別々の学習環境で、外国語を図、計算、実験へ結びつける。 大鳥圭介のこの時期は、舞台となった大坂・江戸の場所・道具・文書を重ねると、出来事の背景と、その後の選択へつながる条件が具体的に見えてくる。 閑谷黌の後、大鳥は大坂の適塾で医学と蘭学を学び、江戸では坪井忠益、江川英敏らのもとで西洋砲術を修めた。

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江戸

縄武館で『砲科新論』を刊行し、幕府教育と歩兵職へ進む


翻訳、金属活字、操典によって技術知識を複製し教える。 大鳥圭介のこの時期は、舞台となった江戸の場所・道具・文書を重ねると、出来事の背景と、その後の選択へつながる条件が具体的に見えてくる。 文久元年(一八六一)、大鳥訳『砲科新論』が縄武館蔵版として刊行された。

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関東・東北・箱館

伝習隊の装備と補給を伴って転戦し、五稜郭で降伏する


隊列の勇壮さだけでなく、行軍、徴発、死傷、住民被害を含める。 大鳥圭介のこの時期は、舞台となった関東・東北・箱館の場所・道具・文書を重ねると、出来事の背景と、その後の選択へつながる条件が具体的に見えてくる。 幕臣となった大鳥は開成所教授などを経て歩兵頭並、歩兵奉行へ進み、フランス式訓練を受けた伝習隊を率いた。

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函館・青森・千住

護送路の天候、宿、戦禍を日記に残し、入獄する


敗北を結論にせず、移送と記録が知識の次の用途へつながる。 大鳥圭介のこの時期は、舞台となった函館・青森・千住の場所・道具・文書を重ねると、出来事の背景と、その後の選択へつながる条件が具体的に見えてくる。 箱館戦争で旧幕府軍に加わった大鳥は、明治二年(一八六九)五月に五稜郭で降伏し、東京へ護送されて投獄された。

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米英・東京・清国・朝鮮

産業視察を図入り報告と工学教育へ移し、外交にも携わる


殖産興業の成果と、日清戦争前夜の外交責任を同じ年表に置く。 大鳥圭介のこの時期は、舞台となった米英・東京・清国・朝鮮の場所・道具・文書を重ねると、出来事の背景と、その後の選択へつながる条件が具体的に見えてくる。 二年半の入獄後に赦免された大鳥は開拓使へ出仕し、明治五年から米国・英国へ渡った。

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日本地図
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特徴

大鳥圭介をつくったもの

薬箱と漢籍を携え、谷あいから学問の道へ出るをイメージした墨絵
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診療帳

大鳥圭介は天保三年(一八三二)、播磨国赤穂郡細念村石戸、現在の上郡町岩木石戸地区の医家に生まれた。薬箱、乳鉢、天秤、薬草、診療帳、往診籠、筆、硯、漢籍は、身体を診る家業と文字を学ぶ環境が同じ家にあったことを示す。祖父から漢学を学び、備前の閑谷黌へ進んだ。後年の多分野への関心を幼少期だけで説明はできないが、医療の観察と漢籍の読解は、外国語資料を実用へ変える基礎になった。現在のいきいき交流ふるさと館は生誕地の展示施設で、旧生家そのものではない。上郡、村医者、閑谷学校、近世漢学の本へつながる。

医学の蘭書から、角度と射程を測る兵学へ移るをイメージした墨絵
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江川塾

閑谷黌の後、大鳥は大坂の適塾で医学と蘭学を学び、江戸では坪井忠益、江川英敏らのもとで西洋砲術を修めた。蘭書、蘭和辞書、解剖図、薬瓶、実験器具、コンパス、分度器、測鎖、砲の断面図は、病状を読む医学から距離、角度、材質を扱う技術へ学習範囲が広がったことを示す。適塾と江川塾は一つの教育機関ではなく、場所も目的も異なる。限られた辞書を共同で読む方法、翻訳語を図面と実験で確かめる方法が連続したと見る。適塾、緒方洪庵、江川塾、西洋砲術、幕末測量を個別に調べる導線にする。

翻訳した砲術を金属活字で複製できる知識にするをイメージした墨絵
03

縄武館

文久元年(一八六一)、大鳥訳『砲科新論』が縄武館蔵版として刊行された。オランダ語の砲術書をもとに、火薬の成分と製法、銃砲鋳造、技術と戦術を紹介した書物である。金属活字、植字台、組版具、インク、圧盤、乾燥中の紙、火薬材料瓶、鋳造図、ノギスは、知識を一冊の写本に閉じず、同じ内容を複数へ配る出版工程を示す。いわゆる大鳥活字は翻訳史と印刷史の接点だが、現存本には後の整版印刷もあるため版を確認する。国立公文書館と国立国会図書館の画像を比較し、砲科新論、幕末活字、洋学出版、火薬史の本へ進む。

洋式歩兵を小銃だけでなく、反復と補給で動かすをイメージした墨絵
04

伝習隊

幕臣となった大鳥は開成所教授などを経て歩兵頭並、歩兵奉行へ進み、フランス式訓練を受けた伝習隊を率いた。小銃、銃剣、弾薬盒、操典、喇叭、靴、外套、天幕、毛布、炊事鍋、給与簿、隊員名簿、行軍図は、隊列だけでは軍隊が動かないことを示す。外国人教官の号令を通訳し、装備規格と訓練を共有し、食料と弾薬を運ぶ制度が必要だった。幕府崩壊後の転戦は指揮官の勇戦だけにせず、脱走、徴発、負傷、地域住民の負担も見る。伝習隊、幕府陸軍、フランス軍事顧問団、戊辰戦争の兵站を調べる入口である。

降伏後の道を、天気と宿と戦禍の記録として残すをイメージした墨絵
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五稜郭

箱館戦争で旧幕府軍に加わった大鳥は、明治二年(一八六九)五月に五稜郭で降伏し、東京へ護送されて投獄された。折り畳み地図、携帯筆、硯、天候を記した日記、宿札、旅券、縄を掛けた文書箱、草鞋は、戦場から監獄へ移される身体と記録を示す。国立国会図書館が紹介する日記は、五稜郭出発から青森を経て千住へ至る護送時の記録で、各宿泊地の戦禍にも触れる。戦中の作戦日記と混同しない。五稜郭の復元建物、戦争遺構、護送路、箱館戦争の地域被害、獄中生活を扱う資料へつなぐ。

米国の坑井と工場を図に写し、工学教育へ持ち帰るをイメージした墨絵
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明治七年大鳥圭介報文

二年半の入獄後に赦免された大鳥は開拓使へ出仕し、明治五年から米国・英国へ渡った。米国では石油、石炭、鉄鋼業を視察し、坑井、採掘、炉、機械を精密な図入り報告へまとめた。石油・石炭標本、断面図、測量野帳、計算尺、製図板、T定規、歯車、橋梁模型は、見物を国内で再利用できる技術情報へ変える道具である。帰国後は工部省、工部大学校長などを務めたが、制度は外国人教師、学生、職工との共同作業だった。『明治七年大鳥圭介報文』、明治産業史、鉱山史、工部大学校、工学教育史の本へ導く。

この人物の詩