江戸・下谷/長崎
測量家の幕臣家から海軍伝習所へ進む
地図と蘭学に触れ、長崎で航海・機関・砲術を一つの体系として学び始めた。
人物を知る
榎本武揚は江戸の測量家の家に生まれ、長崎海軍伝習所で航海術を学び、オランダでは造船技術と海上国際法を修めました。戊辰戦争では開陽丸を中核とする旧幕府艦隊を率いて箱館へ渡り、五稜郭を拠点に軍事と行政を担いました。降伏後は獄中で翻訳や化学研究を続け、釈放後には明治政府で樺太千島交換条約の交渉などに携わりました。幕末から明治へ、海軍、戦争、投獄、外交の各局面で専門知識の役割を変えながら活動した人物です。
軌跡
江戸・下谷/長崎
地図と蘭学に触れ、長崎で航海・機関・砲術を一つの体系として学び始めた。
長崎・築地
伝習所修了後、築地の軍艦操練所で幕府海軍の人材育成に携わった。
オランダ・各寄港地
造船、機関、砲術、化学、鉱物、海律を学び、完成した開陽丸で世界を回って帰国した。
品川・東北・江差
軍艦接収を拒んで旧幕臣と蝦夷地へ移動したが、江差沖の座礁で主力艦を失った。
箱館・五稜郭
軍事占領下で役職と行政を整えたが、敗北が決定的となり五稜郭を明け渡した。
東京・牢獄
処刑を待つ立場から、保存された専門知識を理由に助命・再登用される側へ移った。
北海道・ロシア・東京
樺太千島交換条約を締結し、複数の大臣職と産業・農業教育を経て東京で死去した。



東京都台東区・中央区
下谷の幕臣家に育ち、築地で長崎の学びを海軍教育へつないだ生涯の基点。
榎本釜次郎/榎本武揚
住所東京都台東区・中央区築地周辺
周辺
長崎県長崎市
航海、測量、機関、砲術を一つの海軍組織として学んだ場所。
榎本釜次郎
住所長崎県長崎市出島町周辺
周辺
北海道函館市
旧幕府脱走軍が占拠し、行政を試みたのち降伏した箱館戦争の中心。
榎本武揚
住所北海道函館市五稜郭町
周辺
特徴

榎本は江戸下谷で、測量に携わる幕臣榎本家に生まれた。昌平坂学問所などを経て長崎海軍伝習所へ入り、航海、測量、機関、砲術を学んだ。船は一人の武勇では動かず、地図、計算、機械、規律を持つ人々を組み合わせる必要がある。この組織技術が榎本の判断の基礎になった。

一八六二年からオランダへ留学し、造船、蒸気機関、砲術、化学、鉱物、海上国際法を学んだ。幕府発注の開陽丸の建造を監督し、完成船で帰国した。技術と国際法を同時に学んだ点が重要で、後の箱館でも、戦争を力だけでなく交戦規則と外交の問題として扱おうとした。

江戸開城後、榎本は新政府への軍艦引渡しに従わず、旧幕臣らを乗せて品川沖から蝦夷地へ向かった。これは単なる忠義ではなく、艦隊と技術者を基礎に北方開拓と旧幕臣の居場所を確保する計画だった。しかし主力艦開陽丸は江差沖で座礁沈没し、海軍力を前提にした構想は早くも崩れた。

旧幕府脱走軍は無人の五稜郭を占拠し、幹部の選出、役職、徴税、外国公館との交渉を行った。ただし住民全体が参加する現代的な『共和国』ではなく、軍事占領下の仮政権だった。砲の射程不足、兵糧、艦船喪失が重なり、榎本は一八六九年五月に降伏して要塞を明け渡した。

東京へ護送された榎本は投獄され、処刑の可能性にさらされた。獄中でもオランダ語資料の翻訳、化学や鉱物の記録を続け、海律書などの知識を失わせないようにした。黒田清隆らが能力の保存を求めたことで助命・赦免される。降伏後の学術作業が、旧敵を国家資源へ変える根拠となった。

赦免後は開拓使、駐露公使となり、一八七五年に樺太千島交換条約を結んだ。日本は樺太の権利をロシアへ譲り、千島列島を受け取った。のち海軍、逓信、農商務、外務などを歴任し、鉱山・農業教育にも関わった。再登用は和解だけでなく、明治政府が希少な技術と外国語能力を必要とした結果だった。
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