原文
帰りこん
ときぞ母の
待ちしころ
はかなきたより
聞くべかりけり
人物
会津藩士。鳥羽伏見後の責任を負わされ、切腹した悲劇の人物。 神保修理の辞世は、戦場の勇ましさではなく、母を思う痛みとして残る。鳥羽伏見後の責任を負わされ、弁明の場も十分に得られないまま死へ追い込まれた人物である。大きな政治の理不尽が、帰りを待つ母へ届く「はかなきたより」という一語に縮まっている。
現代語訳
私が帰るころだと母が待っていたころに、はかない知らせだけを聞くことになるのだろう。
詩の説明
政治的責任を負わされる者の辞世でありながら、最後に向かうのは母への思いである。「帰りこん」と待つ母の時間と、死の知らせだけが届く現実が、残酷にすれ違う。会津の敗戦処理や藩内の対立という大きな話が、この歌では家族の小さな痛みにまで縮まっている。
背景
鳥羽伏見後、神保修理は敗戦の責任を負わされ、切腹へ追い込まれた人物として伝わる。勝海舟らが救おうとしたともされるが、会津藩内の強硬な空気の中でその命は断たれた。この辞世には、武士として従う姿勢と、それでも母を思わずにいられない人間の声が同居している。